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「エヂィット・ピアフ 愛の賛歌」は感慨ひとしお
かつて日本テレ系列の日曜9時には関東では「知ってるつもり」という名物番組が放送されていた。歴史を飾る著名人の人生を振り返って感じ入り、また感動し、勉強するというものだった。その番組のレギュラーコメンテーターだった加山雄三さんが数々の悲惨な運命に翻弄されてきた人を見てきた上で、「今回の人生はほんとに参った。すごいね。」と言わしめた人、それがエディット・ピアフだった。

シャンソン史上、最大の歌手。150センチほどの外国人にしては小さすぎつ体からあふれるパワフルな歌声は一度聴いたら絶対に耳に残るものだった。ジャンルは違えど日本のポップス史の中でたとえれば、元REBECCAのヴォーカル・ノッコのような雰囲気といえる。

映画ではその生い立ちから悲惨な境遇、めぐりあう人によって、支えられ、歌を見込まれて、大スターになるも、愛には恵まれず、それゆえに酒と薬におぼれ、48歳という若さでこの世を去る直前までを描いている。

私もこの人の事をリアルタイムで知っているわけではないけれど、先にあげた「知ってるつもり」のような番組を通してその悲惨さに驚嘆したことは覚えていた。
ありえないだろう現実のすべてを映画は描き出しているわけではない。映像化するには少し毒が過ぎるだろうと思われる部分にはふたをしたと思うことがある。

ピアフが薬におぼれてボロボロになった姿もそうだが、お母さんの存在がこの人にとっては不遇の象徴みたいなもので、それはある主の家庭内暴力に違いない。貧乏のどん底にいて、ピアフが大人になってから映画では一度だけ登場して、金をせびるが、こんなものではなかったと聞いている。そしてこの母の死をピアフは川にうかんだ死体を見て初めてしるのだ。こうした部分を映像化するのはやはりその部分自体が話題になることを避けたのだろうか。

人ぞれぞれにいろいろな人生がある。しかし、母親が川にうつぶせになってうかんで死んでいる様など出合える環境にいる人はごくまれであると思う。映画で語られた悲惨な境遇はピアフの一部でしかない。

個人的に残念だったのは名曲「愛の賛歌」がほんのひとときしか使われなかったという事だ。これは失った恋人を思って歌い上げるものだが、これを歌う姿は映画の中では登場しない。バックで流れるだけである。

この人を見ていると、「そりゃ、体もボロボロになるな。まず、精神的にまいる」と思わざるを得ない。もし、その不世出の歌声と引き換えにこの人生を用意されたなら、あまりにも酷。映画はその断片をつづって、観るものに感慨を与える一品として仕上がっている。ピアフという存在に感じ入るにはいい作品だろう。

author:funstyle, category:映画, 18:28
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