RSS | ATOM | SEARCH
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author:スポンサードリンク, category:-,
-, -, pookmark
「ベオウルフ」にはあまり残るものがない
おそらくお正月向け映画の先頭を切って、公開されたということもあるだろう。相当なコマーシャルをしていたものと思う。が、それ相応のものがそなわっているかは少し疑問の映画である。レイ・ウィンストン、アンソニー・ホプキンス、アンジェリーナ・ジョリーと役者はそろっている。だから期待しないわけがない。その期待の大きさのわりには・・・ちょっとという印象だった。物語の底が浅いという印象なのである。
わけもなく、怪物が現れて勇者がそれを倒す。彼がこの物語の主人公・ベオウルフなわけだで、その英雄伝という映画だろう。

しかし、「何で?」っていう場面がちょくちょくある。あとあとになってだんだんそれはわかってくるのだが、いろいろな出来事が起こるその瞬間にはつかみづらい。

アンジェリーナ・ジョリーが怪物の母親役なんだけれど、あの美貌からどうしてあんな怪物が、しかもどうやって生まれるんだろうか。まぁ、ほんの少しだけだが、その真の姿が写るのだけれど、その美貌をまとってどうして歴代の王を誘惑し続けるのか?
なんて思っているうちに最後の大活劇になって、思わせぶりな最後を見せて映画は終わるのだけれど、すごい迫力があるシーンなのに何か作り物感がありありなせいか、今ひとつ緊迫感がないまま見てしまった。

海からあがってくるアンジェリーナ・ジョリーなんかはCGの処理があまいのか、いかにもCGで作ってますというものが映像でみてとれてしまう。これだったら10年前の「タイタニック」の海のCGのほうがよっぽどリアリティがある。10年の間に飛躍的に技術も機械の性能も上がっているはずだが・・・。

楽しめないわけではない。が、しかし、いくら冒険活劇といっても突拍子もないものがつづけておきてはついていけなくなってしまう部分があることも明らか。そういう深みをこの映画には求めてはいけないのかもしれない。
author:funstyle, category:映画, 18:52
comments(0), trackbacks(1), pookmark
「椿三十朗」は元からおもしろい
45年前の名作を、脚本はほとんどそのままに映画化したことにオールドファンからも賛否両論あるだろう。しかし、監督の森田芳光さんも主演も織田裕二さんも完全一致で前のままでいこうという事にはなから決めていたのだから制作側としては一転の曇りもない。
それが観てとれる痛快作になっていると思う。

三船敏郎という人の存在感・癖のある表情にはどうしたってかなうわけがない。まして、もう亡くなっている人であり、昭和の、世界を代表する俳優なのである。加えて、今ほど情報が過多でない時代、スターがスターでいられるように神秘的オーラを持ちえた時代の代表のような存在の人である。織田さんであろうと誰であろうと、比べられてはたまらないというものである。

織田さんは楽しんで、がしかし、殺陣のあたりをみればストイックに三十朗を演じていると思う。少し、声が軽く、ひょうひょうとして抜け目がない所などはなりきっていると思う。が、どしんとした真剣なたたずまいにはやや重きを欠くように思われた。この役の難しさはそのひょうひょうとした部分とどっしりと構えた部分を併せ持ち、短時間でそれを表現として変えるところにある。やはり三船さんならではという部分も感じたが、織田三十朗も侮れないとは思う。

そして問題の、黒澤作品が世界に衝撃を与えたとされるラストの決闘シーンを、そこまではほぼオリジナル通りに忠実に再現したきたものが、このリメイクで唯一、変えたとされるシーンは森田監督ならではリアリティか?カメラ位置もオリジナルはやや静観するかのように少し離れて撮っていたが、今回は思い切り、アップで撮っている。

黒澤監督が画家志望で絵的な美しさをダイナミックに見せたのに対し、森田監督は二人の表情を追い求めたように感じた。最後に去ってゆく三十郎を見つめるカメラもそのむなしさ・寂寥感を感じさせるためではないかと思えた。

これはこれでりっぱな「椿三十朗」である。
author:funstyle, category:映画, 01:00
comments(0), trackbacks(0), pookmark
「ヒッチャー」って何て恐ろしい
この「ヒッチャー」はリメイクらしいが、私はそちらは見ていないと思う。だから比較はできないが、そんなことはこの映画を観るにあたって全く関係ない。

とにかく、何なんだ、この男は。という思いが終始かけめぐる。簡単に人を殺し、それを快感とし、警察が来ても全くあわてない。こんな男がいていいものだろうか。
警察の過去の記録にはないらしいが、それも「ほんとかよ。」ってぐらい暴れまくる。

生まれはという質問に「あちこち」って答えるんだから全くその存在がどういう人間なのか全くわからない。

あるカップルが遠く離れて彼女の友達の下へ旅に向う途中、ちょっと不気味な男を同情させることから始まるこの物語は一難去ってまた一難というたたみかけでドキドキしっぱなしの展開が待っている。

銃を撃ちまくる単純なアクションではない。が、こういう得体の知れない人物に付けねらわれるという設定では大体にして、じわじわと、「この男、何か怪しい」という雰囲気から最後に正体がばれて、さぁ大変というものが多いなか、この映画ではいきなり面と向かって恐怖が始まる。だから心理戦よりはどうやっつけるか、あるいはこの男がどうやったら死ぬのかということに焦点が集まる。

そして果たして最後に生き残るのは誰かということに思いが行き、その最後は時代を反映しているなあと思わせる終わり方だった。

この映画は世間ではおそらくB級映画というくくりをされるだろう。実際、上映館の数も少ない。が、こうしたシンプルな構成だからこそ、引き込まれると言うものの代表的な感じがした。拾い物の作品である。

author:funstyle, category:映画, 18:32
comments(0), trackbacks(1), pookmark
「オリオン座からの招待状」はとってもおだやか
日本映画といえば日本映画らしい、とってもおだやかで、観た後には何か、ほっとするものが残る映画だ。原作が浅田次郎さんの「鉄道員(ぽっぽや)」の中に収められている短編のひとつという事でその世界は想像どおりのものである。

物語は映画全盛時を経て、テレビが家庭の主役になる、1950年代末から1960年代を主に描いている。看守を突然失った妻とそこに勤務していた青年とが経営する映画館を守っている姿中心にその2人をやっかみともとれる、街の噂なども横目に耐え抜いていきながら、通い合うようになる、2人の心情を描いている。

映画の衰退とこの2人のことをよからぬ関係と噂が広まる中で映画館は廃れ、ついに終わりを迎えるのだが、最期の原田芳雄さん演じる、かつての青年の最後のあいさつがなんとも味わい深い。

ファーストシーンはこの界隈で育ち、家庭がすさんでいたがために、この映画館とここを切り盛りする館主の妻と青年を頼って、遊びにきていた幼き男女が1枚の招待状をもらったことからそこを訪れようとするところからはじまるのだが、この2人の存在が最後に生きてくる。

もう映画館を閉めようというとき、もう妻といってもいい存在の老女と老人のおだやかな表情をこの2人がもういちどやり直そうという思いに絡ませてほどよいせつなさがつのってくる。

1つの映画館がほとんど舞台として占め、動きのほんとに少ない映画だ。館主の妻を演じた宮沢りえさんの抑えた演技も印象的だが、突然この館に飛び込んできて働く、青年役の加瀬亮さんが秀逸。「硫黄島からの手紙」や「それでも僕はやっていない」のときもそうだが、何か、せっぽ詰まった、やるせない表情を見せたら、今、天下一品だと思う。

映画全体に動きが少なく、といってそれは悪いわけではない。その押さえがとてもおだやかな気にさせる映画だ。もうちょっと2人の心情を照らし出すシーンガあってもいいんじゃないかと思うが、そうしたイベントは用意しないあたりに原作の空気を重視したのだろう。やたら感動というのはないが、気持ちの落ち着く映画だ。

author:funstyle, category:映画, 18:47
comments(0), trackbacks(1), pookmark
「モーテル」は閉鎖空間を生かしたスリラー
こちらもあるカップルが泊まろうとしたモーテルがとんでもない、殺人ビデオマニアのオーナーが経営するところだったという物語。

ケイト・ベッキンセールというと私は「アンダー・レヴォリューション」シリーズの勇ましい彼女を思い浮かべてしまうのだが、今夏のケイトふんする彼女はほんとか弱い女性だ。よく泣くし、行動を起こすのは常に彼氏の方で、彼女はおびえてばかりいる。

しかし、こうした弱い人が追い込まれた窮地からどうやって逃げるかというのは王道であり、この映画も彼氏が相手に傷つけられてからが勝負という物語である。そして、そのおとなしそうな感じからは一転、泣きながらも大胆行動に出る。

どうやって、そこを逃げ出すか、どうやって相手をやっつけていくかというプロセスがこういう映画の醍醐味だろう。その点、この映画はまずまずといえるのではないか。

舞台はモーテルから一歩も出ない。相手からはビデオカメラで終始見張られている。ではどうするか。そこでちょっと知恵の絞りあいになるのだが;・・。
悪側が作った普通のモーテルにはない、経路が意外な展開を生むのだけれど、ドキドキ感はまずまずといったところ。

もっとモーテルの空間を生かして(例えば屋根とか、天井裏とか)いけなかったかなと思う。まとまってはいるけど、悪側が意外とまぬけで気をもたせたわりにはあっさりとやられてしまうので少し物足りないと思えた。
author:funstyle, category:映画, 18:49
comments(0), trackbacks(1), pookmark
「ボーン・アルティメイタム」は本年最高のアクション
この映画について語るとき、プレスの紹介記事において、プロレスラーでもあり、俳優としても活躍するザ・ロックのセリフがよく載せられている。「俺はもうアクション映画に出る気がしない。ボーン・アルティメイタムのマット・デイモンのを観たなら、そう思っていることに不思議は感じない。あれを超えるのは無理だ。」というものである。

そんな前評や、周りでシリーズ最終にして最高作といわれているのを気にしつつ、観たのだが、まぁ、確かにすごいこと、マット・デイモンって、ほんと、こんなにすごかったんだなとうなってしまった。

一部、スタントマンを使っているのは確かだが、できうる限りの事はやっているし、スタッフが止めなければオール自己出演となっていただろうというあたりには肉体はアクションとしては最高の部類に入る。

こうしたスパイ・アクションものは得てしてその特殊な武器が注目されたりするのだけれど、自分の記憶がはっきりしないまま、とにかう追いかけられて逃げて、という設定のため、ひたすら肉体を使ってのアクションが中心であり、それがひたすら緊迫感を生む。
監督はこのあたりの演出・緊迫感の創出にブルース・リーを参考にしたといっている。
確かに空手アクションばりの部分は大いにうなづけることが多い。

車の激しい追撃線もあるのだけれど、これまたすごい。一人二人新でもいいような展開で、今年公開された中では「ダイ・ハード4.0」に匹敵すると思う。いや、あちらのはそんなに長いことカーアクションはないから、時間の長さだけ観てもこちらの方が、上だ
ろう。

最後の終わり方に少し賛否両論あるようだが、これはこれでいいと思う。もしかしたら
また続編があるのかもという事を似終わるのはアメリカ映画は得意だし、記憶が戻ってひと段落ついたあとでもこれだけの男を回りがほうっておくだろうか。その強さゆえにいろいろな出来事に巻き込まれていくということも考えられる。

とにもかくにも楽しめる1本。観て全く損をしないというのはやはりいいものである。
author:funstyle, category:映画, 18:11
comments(0), trackbacks(2), pookmark
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」ですさんだ心をいやそう
待望の続編である。おととし、感動を生んだ物語がどのようになって帰ってくるのか、わくわくしていた。しかし、続編ということで、いくらなんでも前作を超えるのは難しいだろうと思われた。

2ヶ月前この映画が11月に公開されることはわかっていたが、その時点で木村拓哉くん主演の「HERO」を観たとき、そのリズミカルな展開に「今年の一番はこれかも。」と思った。と同時に「ALWAYSは続編だしな。」とも思ったのである。

しかし、この「続・三丁目の夕日」は見て、「こりゃ、参った。」と素直に脱帽。何度も涙腺が緩んだ。最後のほうはそのたたみかける物語にほんと参ったと感じた、いや、感想したといっていい。

出演者一同はこの続編にほとんどが乗り気しないといっていたという。それは皆一様に「ALWAYS」はあれで完結しているからということだったという。確かに茶川とひろみの関係は途切れたままになっていたけれど、最後は夕日をみんなで見て、また明日たくましく
生きようという終わり方だった。

その茶川とひろみの関係の部分がこの続編では大きくウェイトを占めるのはやはりそうだろうと思う。この2人のことだけは気がかりだったから。

前作もそうだったが、この映画、ほんとに演出がにくい。人の心の琴線をうまく揺さぶってくる。今はもうあの切ない音楽を聴いただけで何か気持ちがほわんとしてしまうようである。

一部、一平君がやるギャグに今の10代、20代、いや、ひょっとすると、30代前半ぐらいの人にはわからないものもある。が、それをお父さんやお母さんに聞いていくのも
この映画のおかげで家族のコミュニケーションがまたひとつうまれるか、などと思ってしまう。

元々この時代を知らない人にも多く受け入れられたのだからやはり、日本人なら誰もが持っているという部分をくすぐるものがあるのだろう。

映画史において数多くの続編といわれるもの、シリーズものが作られているが、そのほとんどは最初の作品を超えないでいる。最近の日本映画では「踊る大捜査線」ぐらいだろう。その「レインボー・ブリッジを封鎖せよ」は興行収入180億。まさに化け物だ。これには恐れ入る。「海猿」もあるが、あれは間にテレビをはさんでいるから異例というべきだ。「踊る〜」にしても元はテレビでファンを増やした。

しかし、この「ALWAYS」は映画上映だけだ。前作は私がよく行く映画館では5ヶ月間ぐらい上映していたと思う。そんな作品はますでないだろうとは思っていたが、この続編ならもしかしたら、と思うできばえ。

映画館を出た後、あちらこちらで「今度のほうがいいかも。」「もう1回観たい」という声が聞かれた。それを聞いて、なぜか、妙にうれしくなった。
author:funstyle, category:映画, 18:55
comments(0), trackbacks(0), pookmark
「ブレイブ・ワン」とは普通の人の狂気
「ブレイブ・ワン」とは直訳すれば「ある勇気」とでもなるのだろう。が、しかし、ここで描かれているのは誰にでもあるかもしれない「狂気」と一体となった「勇気」である。

「パニック・ルーム」「フライト・プラン」に続いてジョディ・フォスターにはこの役はお手のもの。堂に入った演技でその評価は高い。私も確かにそうだと思う。

ニューヨークという街は昔よりも安全になったとはいえ、まだまだこうした部分が多くのこされている、地下鉄のシーンとかにしてもそうしたニューヨークの影の部分はこの映画の重要なファクターとなっている。主演のジョディ・フォスターもそれについては「ニューヨークという街で生きることのすごさとも彼女は戦っている。」ともコメントしている。それを照らしてか、映画全体のトーンはきわめて暗い。

この主人公の場合、ラジオのパーソナリティをしていて、有名人ではあるが、その姿は一度も公の場で見せたことはない。自分の存在が時には空気のような気がしてむなしい。それを人間たらしめる存在が恋人だった。それが暴漢に襲われてあっさりと命を奪われてしまう。だから彼女にはその「勇気」を出し切る条件が精神的には十分備わっていた。

多くの人がこうした「勇気」をもてるとは限らない。むしろ、ほんのわずかだろう。しかし、ありえなくはない。それが映画を単なるアクション映画としていない。

この映画のエンディングには賛否両論あるようだ。私もこれを見て、最後にああなるとは
思ってもみない。違った観点からすれば、そんな事があっていいものか、と思ってしまう。ありえそうな発端から時間が進むにつれて、映画が映画らしい、フィクションの部分を露呈してくる。

確かに暴行を受けた彼女とその恋人は被害者だ。どうしてこんなことが許されるのかという思いはあるだろう。彼女自身が最後にきれいに決着をつけていったなら、それも仕方ないとする向きもある。しかし、警察が介入して、あの解決は・・・ないだろうと思う。

「ブレイブ・ワン」それは普通の人にある勇気ではなく、特別な境遇ががなしえた狂気と一体となっていくしか生きてゆくことができない悲しい物語といるるのではないだるうか。
author:funstyle, category:映画, 18:26
comments(0), trackbacks(1), pookmark
「パンズ・ラビリンス」はあまり例がないファンタジー
主人公は不幸な環境にある少女だが、実は彼女は前世では王国の王女で、今の彼女にもそれを受け継ぐ権利がある。それを得るには3つの苦難を乗り越え泣けばならない。

これだけ聞くと、もうどっかで聞いたような典型的なおとぎ話、映画のジャンルで行ったらファンタジーといわれるものに入ると思うが、この作品はそこにとどまらず、現実世界での出来事、しかも内乱の戦時下の影響をその試練に色濃く落としこんだ、いわゆる、現実的ファンタジーという、ある種他とは比較できない、独自の世界を作っている作品だ。

ファンタジーといえば、幻想的、いろいろなキャラクターがでてきて、正義もいれば、悪もいて、誘惑のわながいっぱい。それに負けずにゴールを目指すといったところだろうが、非現実的なキャラクターはでてくるものの、物語のほとんどが内乱を終えたばかりで反乱軍と政府軍はまだまだ硬直状態にある、山の中で、そこから無体はほとんど動かないというのがこの映画の通常の冒険ファンタジーと違うところ。

主人公の女の子自身にふりかかる、戦時下の現実と反抗軍との銃撃線など、ファンタジーというよりは歴史ものの上に、ファンタジー要素をくっつけながら、それは決して交わることがない、主人公の女の子・オフェリアだけがその接点という新しい物語だった。

単なるファンタジーでは絶対でてこない、目をそむけたくなるような描写もちょくちょくでてくるし、とてもきれいな幻想物語として語られるファンタジーではない。
実際、PG-12規制がかかっているのである。戦争の悲惨さとむごさをテイストとしてつけくわえ、それは女の子の物語と平行して、同じぐらいの扱いをされて、とりあげられるから、なんというか、ちょっと比較できない作品だと思う。

色調はずっと、暗く、血も生々しくでるし、主人公が幼い女の子といってもとても子供づれの家族向け作品とはいいがたい。だからあえていえば内乱の悲惨さを描いた戦争物としての部分と少女が自分の意思で道を切り開いていく冒険ものとしての2面性を持った独特の世界が繰り広げられる、新ジャンルトいってもいいかもしれない。
アメリカだったらとてもこういう発想・映像化は企画としてあがらないだろう。

今の時点では中々ない稀有の作品として「パンズ・ラビリンス」はありえている。
author:funstyle, category:映画, 18:54
comments(0), trackbacks(11), pookmark
「スターダスト」は詰め合わせファンタジー
いろいろな要素が入っているファンタジーだ。最初、主人公と思われる青年が村の境にある壁を乗り越えて冒険するものと思っていたのだが、その青年はこの物語の最後に響いてくる足跡をつけるだけでほんとうの主人公はそのあとからでてくる。ここらへんは、見たときは「え、そうなるの?」って思うのだけれど、その本編が始まってからはほんとうにおとぎ話の世界である。

ある意味、「ロード・オブ・ザ・リング」の冒険性と「ブラザーズ・グリム」や「世にも不幸せな物語」なんかのスリリングさを兼ね備えたような映画だ。だから楽しめないわけがない。その分、新しさというのはあまりないのだけれど、現実を忘れて、映画で夢を追いかける人には向いている作品といえるだろう。

物語のつじつまもうまく合わさって、映画の最初の部分が、最後にうまく重なり合ってくるあたり、中々凝った設定だと思う。

ミッシェル・ファイファーがよくやっているなと思う。キャストの中では一番のビッグ・ネームであると思うのだが、よく大作にはこうした大物俳優さんが悪役を見事に演じて場を盛り上げている例がいつくもあるのだkれど、これもその例にもれない。

主人公2人の恋物語でもあるのだが、それほど濃密なシーンはないので、家族でもお勧めの映画といえそうだ。ただ、予告編から想像できるようなすごい迫力があるかといわれればそうでもないのも事実。冒険性はあるけれども「ロード・オブ・ザ・リング」のようなスペクタクル巨編とかそうした味付けはないので、見ごたえ十分という向きではない。

しかし、これはこれでよくまとまっていると観るほうが正解だと思う。夢を持てる作品としてはいい作品だと思う。
author:funstyle, category:映画, 10:45
comments(0), trackbacks(0), pookmark